昔、玉川の下流に住んでいた猟師が一頭の鹿を弓で射ったが、鹿はケガをおっただけで逃げてしまった。そこで、猟師は地面の血痕を追っていたところ鹿は山奥の滝壷につかっており、猟師が近づくと傷がなおって元気に飛び跳ねたという。
不思議に思った猟師が滝の上流に行ってみると温泉が噴出していた。それからというもの地元の人々は「鹿の湯」「鹿湯」と呼び始めたといわれています。
 
しかし、ぶな原生林に囲まれた山奥にあるため、秋田藩の硫黄鉱石採掘業者や猟師でなければ温泉に入ることはできませんでした。
このように玉川温泉は、訪れることさえ苦労するような場所でしたが、江戸時代末期には次第に湯治場として知られるようになり、昭和の初めころには難病の人達が数人で小屋をつくって湯治をするほどになりました。
玉川温泉を湯治場として開発したのは、地元の関直右衛門氏です。直右衛門氏自身が長年皮膚病に苦しんでいたため、病弱な人々の湯治場にしようと考えたといわれています。やがて、昭和26年には、角館―花路線バスが開通。不便だった交通路も改善され、様々な病気に効果があるという噂を聞きつけた人々が全国各地から訪れるようになったのです。